空気を読みすぎる文化も弊害がある

一時期、社会生活を送る中で空気を読めない人が問題視された時期がありました。

 

「空気を読め」

 

「アイツは空気が読めない」

 

何かと話題になっていましたよね。10年以上前だったと思いますけど。

 

確かに空気が読めない人はいますが、そもそも空気って何なんだ?

 

という疑問に辿り着きます。

 

空気は言い換えれば「場の空気」
更に言えば「場の雰囲気」や「場の流れ」みたいな感じになると思います。

 

空気が読めない人をKYと呼んだりしました。これも元々持ってる資質といいますか、自然に空気を読めるタイプもいますが、そういう事が苦手な人もいますからね。

 

空気を読まなすぎても、読みすぎても弊害があります。今回は空気を読みすぎるのも弊害はあるということを考えていこうと思います。

 

空気を読む事は良いこと空気を読まない事は悪いこと

 

このような情報を流してましたよね。しかし、これも程度問題で空気を読まない、読めない人を悪く言うのは違うように思います。

 

空気を読みすぎて言いたいことが言えないなんて人もいると言います。おとなしい性格の人をさらに窮地に追い込むプロバガンダのように思います。

 

やりすぎると全体主義的になってしまうので注意が必要です。

 

悪い雰囲気にならないように異様に神経使うのも疲れてしまいますよね。

 

何事にもバランスは必要です。空気を読まなすぎても読みすぎても良くないと思います。

 

ポイントポイントで気を使う事が上手くやっていくコツになるかもしれません。

 

空気を読むことが善、空気を読まないことが悪ではない

 

別の言い方をすれば空気を読みすがると周囲に気を遣うということになります。それを自然にやってれば良いかもしれませんが、余計な神経を使ってる場合も少なくありません。

 

仕事であっても空気を読むのは疲れる

 

ビジネスの場合でも気を使わなくてはならない場面では、神経をすり減らします。

そんな場面が多ければ多いほど精神的な疲労度は増すばかりです。

 

肉体的な疲労であれば、風呂入って寝れば回復します。その他、睡眠
や改善法の情報は出回ってます。自分でもある程度ケアしやすいと思います。

 

 

ある意味「空気を読む」と言う言葉が一人歩きして、自分の都合の良い解釈をしている人がいます。

 

どういうことかというと、自分の都合が悪い事を言われたり、指摘されたりすると「アイツは空気が読めない」などと言う人がいます。

 

典型的な勘違いですが、自分を気持ちよくさせない人間を「あいつは空気を読めない」と。それはあんたの都合であって空気を読むというのはそういう事ではない。

自分が中心の空気を崩されただけですからね。

 

結局嫌なものは嫌、良いものは良い。ダメなものはダメ。という基本的なものを崩してまで空気を読む必要はまったくないです。

 

「空気を読む」という事をある意味悪用というか自分に都合の良い解釈で人を否定したりする人がいます。

 

空気を読まない事も時には大事

 

空気を読む事自体は悪い事ではないですけど、空気を読む、読まないで二元論化するのはいかがなものかと思います。

 

間違った方向に行った時、もしくは向かっていると気付いた時に、厳しく軌道修正しなければならないときは必ず来ます。

 

空気を読むということが常態化されると強いものが空気を作り出す若しくは周りが忖度して追従して同調圧力を生み出すといった悪循環になりかねません。

 

長い物には巻かれる習性を持った集団は事なかれ主義に陥り、間違った方向に気付いてもそれを強く修正することがしずらい雰囲気が出てきます。

 

気付いた人も周りの目を気にして言えなかったり、言ったら反乱因子のように思われる雰囲気を感じたりするものです

 

そうなるとその組織は崩壊に向かっていきます。常に勇気を持ってPDCAを回し続けないと会社は成長しませんので、それをしちゃいけないような雰囲気があるような組織は壊れていくだけです。

 

国単位でいえば権力の一極集中、独裁政権といったところでしょう。反対意見を封じ込め弾圧し、一つの方向に向かうことほど怖いことはないのです。

 

極論になりましたけど、あまり空気を読みすぎる文化も考えものといった見方もあるという事をお伝えしました。

 

空気を読むのもバランスは大事

 

適度に空気を読むのはいい事だと思います。無駄な軋轢を生まないわけですからバランス感覚さえあれば問題ないです。

 

問題はそういった面が強くなりすぎると空気を読まないことが悪いことみたいな同調圧力を生み出すことです。空気を読めない人間が浮いてしまう。結果的にはその集団から去るしかなくなる。全体的には没個性でロボットみたいになってしまいます。

 

また、そういった習性を利用する連中もいることに注意しましょう。悪用する人間の空気を読んでしまい、変な方向に誘導されないようにしましょう。

 

空気を読みつつ間違ってるものは間違ってると言える環境づくりが大切です。また、そういった組織が良くなるためなら提言や指摘を歓迎する位の向上心があるのが理想的です。

また、こういう論調で気を付けなければならないのは二元論に持っていくことです。

 

空気を読む、空気を読まないを二元論化して分断させる事です。分断させたら反対側の意見を敵という意識を植え付けます。

 

こういう流れには注意が必要で、双方とも誘導しやすい状況になります。これが実は危険なのです。

 

物事の本質からズレたところでお互いやり合ってくれてるわけだから、そのやり合ってる間に

 

「敵がこうだからこんなことになった」

 

「だから、こうしなければならない」

 

といった、普段だったら簡単に見抜けるようなプロバガンダに乗っかってしまうわけです。

 

あなたの心が病んでいるのは空気を読みすぎるからかも

 

誘導する側は感情を揺さぶって、バランス感覚を失わせます。バランス感覚を失わせたタイミングでいろんな事を仕掛けてくるんです。

 

感情を揺さぶられると、いわば「思考停止」状態に陥り誘導されやすくなるんです。これには本当に注意が必要です。

 

そんなときに空気を読む事を優先していたら、

 

「反対することは空気を読まないから悪い」

 

という目に見えない同調圧力で、そのままとんでもないスピードで間違った方向にいく可能性があることも注意したほうがよいでしょう

 

善悪二元論は間違った方向にいきやすい。二元論にするというのがそもそも対立構造を生み出します。

 

対立構造は問題解決には結び付きづらくかえって問題を長引かせます。

 

対立構造を作ってしまえば、問題解決をすることが目的ではなくなり、対立している相手を打ち負かすことが目的になってしまうからです

 

論点のすり替え、目的が変わってしまう。という良く分からない感じになってしまいます。

 

善悪二元論が思考停止に誘導する諸悪の根源

 

これは軍産複合体がよく使うやり口です。対立させお互い疲弊したところで支配する。これは対立を煽り、思考停止させる事が目的な訳です。

 

つまり、対立相手に集中するあまり、背後にいる思惑を見抜けないためにドツボにハマってしまう典型です。

 

これは、なにも国同士の争いでなくても狡猾な組織や人間でもあり得なくはないので知っておいて損はないでしょう。

 

なので、やたら対立を煽ったりしてくるときは注意が必要です。そういう時はすぐに敵憎しで動いてしまうと後々後悔する事になるので背後に何か動きがないか、金の流れはどうなっているのか調べたほうが良いです。

 

一番大事なことは感情に流されないことです。敵が悪いやつというプロパガンダを流されても、感情を揺さぶられないようにしましょう。

 

恐らくですが、

ある国は悪いと一方的に決めつけ

 

「悪いやつをやっつけることは良い事だ」

 

「国を守ることは大事なことだ。」

 

「国を守るものは国民のヒーローだ」

 

というプロパガンダを繰り返しマスメディアなどで流し、一致団結を求めたり、逆にプロバガンダに乗っかってはいけないという反対意見は「非国民」だというレッテル貼りをしてくることは容易に想像つきますね。

 

連中のやることは毎回毎回同じ手口ですから、何度も騙されないようにしましょう。

 

皆がわかり易い、綺麗なスローガンを流してきますので注意しましょう。

 

確かに言葉尻だけで考えれば良いことのように思えますが、ここに落とし穴があります。

これに国民の多くが乗っかれば、戦争に自ら加担し、多くの犠牲を払うことになるのです。

 

大事なことは結論ありきで物事が進んでいるということを理解しなければならない

 

残念ながらこれを理解しない限り、毎回毎回プロバガンダに誘導されて、感情を揺さぶられてコントロールされてしまいます。

 

だいぶ後になってから、あれは間違っていたと後悔します。でも、その時になってから後悔しても遅いのです。

 

いくら綺麗なスローガンを掲げても、結局やってる事は人殺しですから。それを簡単に受け入れてはいけません。

 

戦うことが未来に繋がるような言葉を掲げても、結局若い人が戦争にかり出され人口が減り、裏で企んでる軍産複合体は大儲けしますので、明らかに乗っかった時点でバカを見る構造です。

 

この構造を理解している人は日本人には少ないです。少ないという事は綺麗なスローガンの言葉を鵜呑みにしてしまう可能性が高くなります。

 

戦後の3S政策によって日本人は腑抜けにさせられたわけですが、それすら理解しない人の行く末はかなり厳しいと言わざるを得ないです。ある意味なるようにしかならないと思いますが、そんな中でも各自出来る事をするしか方法はないでしょう。

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