一時期、
「空気を読め」
「アイツは空気が読めない」
何かと話題になっていましたよね。
確かに空気が読めない人はいますが、そもそも空気って何なんだ?
という疑問に辿り着きます。
空気は言い換えれば「場の空気」
更に言えば「場の雰囲気」や「場の流れ」
空気が読めない人をKYと呼んだりしました。
空気を読まなすぎても、読みすぎても弊害があります。
空気を読む事は良いこと空気を読まない事は悪いこと
このような情報を流してましたよね。しかし、
空気を読みすぎて言いたいことが言えないなんて人もいると言いま
やりすぎると全体主義的になってしまうので注意が必要です。
悪い雰囲気にならないように異様に神経使うのも疲れてしまいます
何事にもバランスは必要です。
ポイントポイントで気を使う事が上手くやっていくコツになるかも
空気を読むことが善、空気を読まないことが悪ではない
別の言い方をすれば空気を読みすがると周囲に気を遣うということ
仕事であっても空気を読むのは疲れる
ビジネスの場合でも気を使わなくてはならない場面では、
そんな場面が多ければ多いほど精神的な疲労度は増すばかりです。
肉体的な疲労であれば、風呂入って寝れば回復します。その他、
や改善法の情報は出回ってます。
ある意味「空気を読む」と言う言葉が一人歩きして、
どういうことかというと、自分の都合が悪い事を言われたり、
典型的な勘違いですが、自分を気持ちよくさせない人間を「
自分が中心の空気を崩されただけですからね。
結局嫌なものは嫌、良いものは良い。ダメなものはダメ。
「空気を読む」
空気を読まない事も時には大事
空気を読む事自体は悪い事ではないですけど、空気を読む、
間違った方向に行った時、もしくは向かっていると気付いた時に、
空気を読むということが常態化されると強いものが空気を作り出す
長い物には巻かれる習性を持った集団は事なかれ主義に陥り、
気付いた人も周りの目を気にして言えなかったり、
そうなるとその組織は崩壊に向かっていきます。
国単位でいえば権力の一極集中、
極論になりましたけど、
空気を読むのもバランスは大事
適度に空気を読むのはいい事だと思います。
問題はそういった面が強くなりすぎると空気を読まないことが悪い
また、
空気を読みつつ間違ってるものは間違ってると言える環境づくりが
また、
空気を読む、空気を読まないを二元論化して分断させる事です。
こういう流れには注意が必要で、
物事の本質からズレたところでお互いやり合ってくれてるわけだか
「敵がこうだからこんなことになった」
「だから、こうしなければならない」
といった、
あなたの心が病んでいるのは空気を読みすぎるからかも
誘導する側は感情を揺さぶって、バランス感覚を失わせます。
感情を揺さぶられると、いわば「思考停止」
そんなときに空気を読む事を優先していたら、
「反対することは空気を読まないから悪い」
という目に見えない同調圧力で、そのままとんでもないスピードで間
善悪二元論は間違った方向にいきやすい。
対立構造は問題解決には結び付きづらくかえって問題を長引かせま
対立構造を作ってしまえば、
論点のすり替え、目的が変わってしまう。
善悪二元論が思考停止に誘導する諸悪の根源
これは軍産複合体がよく使うやり口です。
つまり、対立相手に集中するあまり、
これは、
なので、やたら対立を煽ったりしてくるときは注意が必要です。
一番大事なことは感情に流されないことです。
恐らくですが、
ある国は悪いと一方的に決めつけ
「悪いやつをやっつけることは良い事だ」
「国を守ることは大事なことだ。」
「国を守るものは国民のヒーローだ」
というプロパガンダを繰り返しマスメディアなどで流し、
連中のやることは毎回毎回同じ手口ですから、
皆がわかり易い、
確かに言葉尻だけで考えれば良いことのように思えますが、
これに国民の多くが乗っかれば、戦争に自ら加担し、
大事なことは結論ありきで物事が進んでいるということを理解しなければならない
残念ながらこれを理解しない限り、
だいぶ後になってから、あれは間違っていたと後悔します。でも、
いくら綺麗なスローガンを掲げても、
戦うことが未来に繋がるような言葉を掲げても、結局若い人が戦争に
この構造を理解している人は日本人には少ないです。
戦後の3S政策によって日本人は腑抜けにさせられたわけですが、
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